年齢もあるのかもしれませんが、友人の子供をみると、産めない私たち夫婦はやっぱり寂しく感じることがあります。
友人の中には体外受精など、いくらでも手段があるじゃないかとゆうひともいますが、私は彼の遺伝子をもつ子がほしいのであって、それができないのではあれば意味がないと思っています。
子供とは尊いものだと、結婚し伴侶ができたことで深く知りました。
遺伝子が残せない。それがこんなにも切ないことだと分かったら、ほんの少し、寂しくなってしまうのが本音です(苦笑)
私はこれから、多くのものを見送っていかなければなりません。
その順番は神のみぞ知る事ではありますが、夫が遠くないかもしれない。その事実は受け止めているつもりです。
ただでさえ短命・・・といいたくはありませんが、血縁者をみるかぎりではそう感じてしまう血をもつなか、本来の性別を無視し異性のホfルモンを打ち続けるというのは、体に負担をかけます。
そんな彼がはたしてこの先、どれほど寄り添えるのか私にはわかりません。
その不安に苛まれることはもちろんあります。失ったことの恐ろしさを考えると、涙が出てきしまうほどに。
でも、私は見送る立場をほかの誰かに譲るつもりはありません
誰に対しても平等な終わりを、逆らいたいとも思いません。
一度限りの人生をせっかく両親から頂いたのだから、しっかり歩んでいきたい。別れも、涙も全部。
両親に話せば結婚を引き留めるだろうと分かっていただけに、彼のそういった部分は詳しく話していません。
だからこれは、そっと胸の中にしまいこむことにしています。
私は、見送る側になれればそれでいい。
いま一緒に住む、わんこも、にゃんこも、すべてを見送る立場にいる私。
その時が来たとき、私は笑って見送れるだろうか。
泣いていても、どんなに悲しいものだとしても。私は笑顔で見送りたい。そう思います。
だって、いくつもの出会いの中せっかくめぐり合うことができたのだから、それは決して悲しいことじゃない。
別れも出会いのその一部なのだから。
年齢がもっと彼に近かったら。そう悔しく思うこともありますが、これもきっと何か意味があることだと信じて。
今回里帰りした際、母にいつからセクシャルマイノリティになったのかと聞かれました。
その質問の奥には、自分のせいでとそうなったのではないかと自身を責める母の姿が透けて見えました。
これは誰のせいでもなく、自分の生まれ持った性質であり、誰のせいでもありません。
だからこそこの質問を受けた時、胸が強く痛みました。母は強い人だけれど、自らを責めてしまいがちだから・・・
自分が他者とかわっていることは、わりと幼いころからわかっていました。自身がわからず迷走し、自分を傷つけてきた過去もあります。
もともとが中性的な考えのため、いまだ自分が何者かわからなくもなりますが、今ではそれが私なんだと思えるようになりました。
友人に話したこともありますが、ようわからんの一言で終わり(笑)そんなものです。
男になったり女になったりせわしないことこの上ないですが、仕方ない。これが私です。
自分がどんな存在であったとしても、それでも傍にいてくれる人がいる。笑ってくれて、怒ってくれる人がいる。それだけで十分です。
自分はバイセクシャルで中性的な性格で、旦那はFTMで。
よくもまぁ、横道をそりまくったとは思いますが、いいじゃないですか。人生なんてそんなもの!楽しんだが勝ち。
今が一番気持ちにぶれがないし、生き生きしてると感じてるなら、それでいい(笑)
自分がいいと思って進んでいるのなら、たいがい乗り越えられるんですから。女は強い生き物ですヨw